第2クール 経済史とは何か
第4回 経済史とは何か
(1)はじめに
前々回は、経済史を含めた歴史学が用いる資料をちょっと紹介し、そのうえで、資料はさまざまに読み解ける、という話をしました。このクールでは、ようやく「経済史とは何か」という問題に取り組みます。これがはっきりしなければ「経済史の社会的有用性」(役に立つか)も「存在可能性」(昔のことがわかるか)もわからないでしょう。また、皆さんのなかには来年度から「経済史」や「日本経済史」や「経営史」といった講義を履修し、歴史上の事実やその意味を学ぶ人がいると思いますが、経済史の定義がわからないままこれらの講義に参加しても、ちんぷんかんぷんに終わってしまう危険があります。
(2)作業:経済史とは何か
皆さんは「経済史」という言葉を聞くと、どんなものを思い浮かべますか。明確なイメージがわかないかもしれませんが、これまで経済史を勉強した人は多分それほどいないはずですから、わかなくても当然です。あるいは、資料の読み解き方がいろいろあったように、「経済史」という言葉の意味も色々なのかもしれません。というわけで、今回も、まず皆さんに作業してもらいます。前回と同じように、同じ机に座っている人同士でグループになってもらいます。
・「経済史」とは何か、つまり「経済史」の定義を3つ考えてください。
・それらのうちで、もっとも適当だと思うものを決めてください。
・それが適当だと思う理由を説明してください。
・以上3点を300字以内でまとめてください。
なお、前回も「300字以内」と指定しましたが、このように指定された場合、基準は90%です。つまり、今回の例で言えば、270字から300字の間ということになります。時間は25分です。そのあと、いくつかのグループに発表してもらいます。
(3)「経済史」の定義
いくつか意見が出たし、他のグループも色々な意見を持ったかもしれません。それらを念頭に置き、またテクスト第1章を思い出しながら、後半は僕の説明を聞いてください。
経済史には様々な定義があります。とりあえず思いつくとしたら「経済事象の歴史を描くこと」、「経済理論を利用して歴史事象を分析すること」、この二つでしょう。
第1、経済事象の歴史。経済事象にも様々なものがあります。たとえば、工場生産という制度、株式会社という企業体制、世界の貿易システム、各々の時代の食生活や衣生活、これらは全て経済事象だし、その歴史は「経済史」だということができます。
ただし、この定義には問題があります。それは「経済事象」という言葉がカバーする範囲が広すぎることです。たとえば、テレビ産業は誰でも経済事象だと思うでしょうが、テレビ番組はどうか、アニメーションはどうか、アニメーションの声優はどうか。だんだん、経済現象よりは文化現象と呼んだほうがよい領域に入ってゆく感じがします。
第2、経済理論を利用した歴史事象の分析。この場合、分析の対象になる事象は何でもかまいません。法律や政治や文化やポップ・ミュージックや化粧や男女関係や、とにかく様々な事象の歴史を、経済理論を利用して分析すればよいのです。化粧の歴史に経済理論が利用できるのか、という疑問を持つ人がいるかもしれませんが、できるのです。
ただし、この定義にも問題があります。経済理論には様々なものがあります。たとえば、新古典派経済学、ケインズ派経済学、マルクス経済学、制度学派経済学。そして、どの理論を利用するかによって、結論が変わる可能性があります。たとえば政治活動は、新古典派経済学では必要悪にみなされやすいのに対して、ケインズ経済学は必要と考える、といったような違いが出てくるわけです。
という状況なので、経済史について急いで定義するのではなく、まず、これまでの経済史学者たちが経済史をどう定義してきたかを確認しておきたいと思います。
(4)日本の経済史学・その1
学問領域としての経済史を日本で確立したのは、第二次世界大戦後、大塚久雄という学者でした。彼は、とくにイギリスを対象として、財を生産するシステムがどのように変化したかを研究しました(27〜9ページ)。なぜか。それは、開国以来、イギリスや(イギリスから生産技術を導入した)アメリカやドイツの生産能力に、日本は驚かされてきたからです。第二次世界大戦に敗北した後、日本経済を復興するためには、これら諸国の経験つまり歴史を知り、それを応用することが必要だと大塚は考えたわけです。
たとえばイギリスでは、すでに18世紀末、機械を導入した工場制度が生まれていました。そのころ日本は江戸時代で、職人の世界が広がっていました。両者の格差は、その後も広がってゆきます。開国以来の日本の努力は、この格差を縮めるためのものでした。
ただし、大塚の特徴は、工場や機械といった生産システムのあり方だけに着目したわけではない、という点にあります(15〜20ページ)。生産システムだけを輸入しても、そこで働く人々の思考や感覚や行動のあり方が変わらなければ、それらは宝の持ち腐れになってしまうでしょう。ですから、大塚は「自律的に(つまり自分で決めて)行動するような人間」が誕生しなければ、経済復興も無理だし、さらには日本社会そのものの再建も難しいと考えました。このような人間を「近代人」と呼ぶことにします。
しかし、どうすれば近代人が生まれるのでしょうか。放っておけばいい、とは言えないでしょう。では、近代人にとって必要な自律性を身に付けるように指導すればどうか。そうすれば、たしかに身に付くかもしれません。でも、「指導」というのは「教育」と同じく強制力を使います。「自分で決めろ、と強制する」というのは、どこか矛盾しているような感じがしませんか。これは、実際に矛盾しているし、じつはこの問題を大塚は解けませんでした。
(5)おわりに
経済史学者たちがこの問題がその後どのように扱ってゆくか、そして僕が「経済史」をどう定義しているかについては、次回お話ししたいと思います。