計画経済のメカニズム
まず話を単純化するために、純粋な計画経済のメカニズムの特徴を、純粋な市場経済のそれと対比することで明らかにしよう。市場経済の基本的特質としては厳しい企業間競争、財やサービスに対する消費者の自由な選択権、価格を通じた需要と供給の調整があげられる[1]。財やサービスの生産において企業が激しく競争し、消費者が数多く生産されるそれらのものから自由に選択することによって消費量の多い財・サービスは生産量・価格が上昇し、企業は業績を向上させる。逆に消費の少ない財・サービスは生産量・価格が低下し、企業は業績を悪化させる。すなわち市場経済においては消費と生産は個々の消費者、企業自体によって決定されるのである。その消費量と生産量を調整するものが価格を通じた市場メカニズムである。消費量(需要)の増大する財・サービスでは価格が引き上げられ生産量(供給)が増大する。需要の減少する財・サービスでは価格が引き下げられ供給は減少する。つまり市場メカニズムとは財・サービスの生産において価格と生産量が連動しているメカニズムを意味し、市場経済においては企業と消費者がその主体者なのである。
それに対し、計画経済においては中央計画当局が国有企業に対して発する指令が、市場経済において価格と生産量を決定する市場メカニズムに代替する。「中央集権的計画経済システムは」、中央計画当局、国有企業、家計の経済主体から構成される[2]。中央計画当局は消費者の選好、資材、機械、労働量、生産能力、過去の生産実績、資源の量などについて「完全な」情報を保持していると仮定され、その「完全な」情報に基づいて国有企業に対して財・サービスの生産の「完全な」ノルマチーフ(成功指標、計画目標)を与える。資材は、資材・技術供給国家委員会から供給され、取引先も政府によって決定される。
ノルマチーフ 財・サービス
国有企業
出典:宮本(1995)
この計画経済においては生産手段に対する個人の私的所有権は認められておらず、あらゆる生産手段は国家において所有される。これは中央計画当局が計画的に「資源配分」を行う[3]ということを意味する。労働、資本、エネルギーなどの配分、設備投資の内容と規模、消費量、取引対象、貿易活動等あらゆる経済的活動が中央計画当局の計画によって決定されるのである。計画経済においては企業と消費者は政府の決定どおりに生産及び消費をするだけの経済主体なのであり、また「中央計画当局」は国家のあらゆる経済的活動に対して「完全な」情報をもち、それに基づいて「完全な」計画を立て実行させなければならないのである。
ソ連型指令経済
計画経済はこれまでにソ連型指令経済、ユーゴスラビア労働者自主管理、ハンガリー新経済メカニズムという3つのタイプの実験が行われたといわれている[4]。ここでは、ソ連型の指令経済について述べる。指令(命令)経済とは中央計画機関から企業に下達される指令情報と逆方向の報告情報によって生産と消費の調整を行う[5]という上記の計画経済メカニズムの重要な事例である。
1917年の2月革命、10月革命を経て誕生したソ連における計画経済のシステムの前提となったのは、党国家体制と呼ばれる共産党による独裁体制、そのもとでの生産手段の社会化(実質的には党国家官僚による占有)であった[6]。これらを前提とした計画経済システムの生産決定は以下のプロセスをたどる[7]。まず生産の年次目標は「政府」に優越する共産党によって決定される。その計画の適合性をソ連国家計画委員会(ゴスプラン)が検討し、下部組織の産業省と情報交換を経て共産党と産業省に生産計画の第1次案として提示する。産業部門毎に設置された産業省(ソ連には1980年代初頭に約60の産業省があった)は、各々の所管企業に第1次計画案を提示し、企業からの資材需要の情報を得る。その情報をもって産業省は生産計画を再度ゴスプランと検討して企業への資材配分を決定する。ゴスプランは最終計画を共産党に上申し承認をうける。産業省は最終計画を企業に伝達する。
この計画経済体制における具体的な生産目標の設定は物財バランス法を用いてゴスプランによって策定される。政府は、保持する完全な情報にもとづいて国民経済のあらゆる財の供給量(S)と需要量(D)を予め定め、均衡(S=D)させ、それを正確に実行させようと計画する。1980年代には60の産業、2000の財の需要供給均衡関係を全て策定し、それが物財バランス表にまとめられなければならなかった。価格(貨幣)は名目的なものになり生産量の調整とは切り離された。この生産目標設定方式においては全ての財の需要量、供給量は相互依存の関係にあり、2000の財のうち1つでも計画と異なる供給あるいは需要があったならば(計画より多くても少なくても)、その財に関わる全ての財の生産計画が変更をせまられることになる。
出所:盛田常夫『体制転換の経済学』新世社、1994年、19頁。
この物財バランス法あるいは計画経済自体に関してソ連発足当時からその計算不可能性が指摘された。そのなかで特にハイエクは計画経済あるいは物財バランス法の根本的な問題を指摘した。すなわち共産党が「全能の知」をもっているという前提に対する批判である[8]。物財バランス表が有効なものとなるためには、財の基本的単位まで細分化して、需要と供給を策定しなければならない。そのためには完全な情報の入手と処理ができなければならない。しかし、本来知識は個別消費者・生産者に分有されているものである。それを単一の機関に集中させ解析すること、常に変化しづける状況を把握し完全な情報を入手して処理することは不可能である。たとえ、その時点で完全な情報にもとづいた完全な計画が策定されたとしても、それが実行に移されるときには「過去の」情報に基づいた、過去においては完全だった計画でしかないのである。結局、計画策定は妥協の産物となり、計画に基づいた「最適な資源配分」は達成できないことになる。
仮に「完全な」情報が得られたとして、それに基づいた生産計画は2000種もの財の需給バランスを計算し、全てを均衡させていなければならない。国民経済全体の生産目標を計算すること自体にも膨大な時間を要するのである。「スーパーコンピュータといえども、今日の発達した国民経済の計画問題を集権的に解くことはできない」[9]。しかも、そのようにして算出された生産計画が完全なものだったとしても、それが完全に実行されるとも限らないのである。
(ティーチング・アシスタント 菊池慶彦作成)
[1] 伊藤元重『ミクロ経済学』日本評論社、1992年。
[2] 宮本勝浩「中央集権的計画経済の動学的不安定性」『経済研究』
[3] 前掲『ミクロ経済学』。
[4] 金森久雄・荒憲治郎・森口親司編『経済辞典』第3版、有斐閣、1998、287頁。
[5] 同上、622頁。
[6] 詳細は中村平八「ソヴェト社会主義共和国連邦の崩壊(1)」『商経論叢』神奈川大学経済学会、1996年、小野一郎「ソ連の社会経済体制とその崩壊原因」『立命館経済学』立命館大学経済学会、1996年。
[7] 盛田常夫『体制移行の経済学』新世社、1994年。
[8] 前掲『体制移行の経済学』55-56頁より。
[9] 同上書、64頁。