<参考資料3−1>航空輸送産業の規制緩和

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1、アメリカの航空輸送産業における規制撤廃[1]

 

1970年代まで、アメリカの航空輸送産業は民間航空局(CAB)によって、ほとんどの新規参入が禁止され、重要路線では強力に競争するのではなく23社の穏健な競争が展開されるよう規制されていた。価格競争は最小限におさえられ、非価格分野での競争(機内サービス等)が中心だった。ところが1970年代初め、このCABによる規制の撤廃と競争の圧力がかかり、1975年までに、料金の値下げ、規制緩和が行われた。1978年には航空路規制撤廃法が可決されるころには、自由参入と自由な運賃設定が可能になった。さらに、1983年までにCABも廃止された。この規制緩和の後、新規参入が相次ぎ、価格の引下げも進んだ。さらにハブ・アンド・スポークシステムとコンピュータ発券予約システムという2つのイノベーションも生み出された。

しかし激しい競争の後、地域会社の合同が進んだ。8大企業の占拠率が1986年には73%、1988年には92%に高まった。そのなかでアメリカン航空、ユナイテッド航空、デルタ航空のビック3は特に強力だった。一連の合同に対し政府当局は自由放任の立場をとった

また、ハブ・アンド・スポークシステムは発着場使用における既存企業の独占的利用によって、大手航空会社による高度に集中した寡占体制の可能にした。ハブ・アンド・スポークシステムとは、各方面からの旅客を主要空港(ハブ空港)に一旦集め、次の飛行機に乗り換えさせて、最終目的地の支線空港に運ぶというシステムである。また、ハブ空港間は大型機を投入して旅客を大量輸送することで規模の経済性を追求できる[2]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


宮田(1998)より作成

事業運営上、「このハブ制度は若干の効率を生んだが、しかし旅客にとってはそうは易しくない」[3]ものであった。しかもこのハブシステムは発着枠を多く持つ企業にとって非常に有利だった。発着枠を得られなければハブ空港への乗り入れができないので、新規参入企業にとっては強力な参入障壁となった。合同によって大手航空会社は発着枠を大量に確保でき、支配力を強化したのである。

さらに、アメリカン航空とユナイテッド航空が開発したコンピュータ予約発券システム(CRSs)も効率性を高めるものであったが、旅客を2航空会社の利用に誘導させることができた。すなわち「その航空会社自身の飛行便が、他企業の便より先に(中略)コンピュータ・スクリーンに表示された。」[4]のである。

 新規参入企業に対しては、既存の大企業は「略奪的」と主張されるような価格設定等排他的策略で対抗する。コスト以下の価格と疑われるような価格設定、定期便の増便、登録路線での能力の増大、発着枠と搭乗口規制、旅行代理店の操作などに対する苦情が申し立てられている。

 規制撤廃推進論者は、航空輸送産業の規制撤廃によって競争と参入の脅威がもたらされ、価格競争によって消費者利益の向上がもたらされると想定した。事実、規制撤廃実施当初は良好な成果が表れた。例えば、「米国の規制緩和の経験では航空輸送産業内において寡占化が進んだため、各個別企業は巨大化し、経営体質を強化した.さらに当初心配された安全面での問題も少ないことが証明された。」[5]という意見もある。

しかし、1984年以降、政府の自由放任は市場構造の集中とハブ空港の支配をもたらした。集中度の高い産業構造において先発企業は運賃の値下げをやめ、その一方で新規参入者を排除するために「略奪的価格」を用いた。90年代以降独占力はさらに強まった。運賃は1994年以降上昇し、サービスの質は低下した。また、イノベーションは独占によって妨げられている。新規参入企業である、「サウスウェスト航空はサービス、一層スピーディな設備の取扱いと運賃での革新を生み出した。」しかし、サウスウェスト航空等の新規参入者の多くは収益性の少ない小型路線に押し込められている。

 アメリカの航空輸送産業においては競争を促すための規制撤廃と自由放任政策は失敗だったといえる。公的当局が競争を保護することが必要であるということが指摘されている。

 

2、日本の航空輸送産業における規制緩和[6]

 1998年まで、国内の航空輸送企業は、日本航空(JAL)、全日空(ANA)、日本エアシステム(旧東亜国内航空、JAS)の大手3社と、その他に日本アジア航空、日本貨物航空、日本トランスオーシャン航空、エアニッポン、日本エアコミューターの5社があった。しかし、国際線及び国内線の大部分は大手3社が圧倒的割合を占める高度な寡占体制であった。それは政府の規制政策によって担保されていた。

 

政府の規制政策

 日本の航空輸送産業は、これまで1951年に制定された航空法によって規制されてきた。航空法は、運行の安全性と当時幼稚産業だった航空輸送業の「事業の秩序を確立し、もって航空の発達を図ること」すなわち保護と育成が目的であった。航空輸送業の規制の中で重要なものは、参入規制、運賃規制、便数規制である。

 

@    参入規制:航空事業を営もうとするものは「路線ごとに運輸大臣の免許」を必要とする。これは需給バランスがとれているか、破滅的競争へと陥らないか、巨額の損害賠償に耐えうる経営基盤を持っているかが判断基準となったが、事実上大手3社の支配的な地位を保障するものであった。

A    運賃規制:大手3社による寡占的規制市場において、企業が独占力を行使して消費者利益を損なわないよう、料金設定は運輸省の認可を必要とした。

B    便数規制もまた、需給バランスの調整を意図するものであった。

 

その後、航空法に基づき1962年の航空審議会で国際線の競争排除(1社のみ)と国内ローカル線の統合(2ブロック化、各ブロック1社)が徹底された。さらに、航空法は行政指針によって補完された。事業分野の差別化を定めたものであり、「4547体制」と呼ばれる体制が成立した。この「事業分野調整」政策は、「航空輸送企業間での競争を「住み分け」によってできるだけ回避させて収入の安定を図り、各社の抱える赤字部門への内部補助に回させる一方、航空ネットワークに地域的偏りが生じないように配慮したもの」[7]であった。

 

4547体制」

 

国際線

国内幹線

国内ローカル線

日本航空

×

全日空

△(近距離チャーター便のみ)

日本エアシステム

×

△(一部)

国内幹線は札幌、東京、大阪、福岡、那覇

出典:衣笠(1997)、宮田(1998)より作成

 

 

規制緩和への方針転換(1986年〜)

日本経済の成長による消費者の所得上昇にともない、1970年代以降、航空需要は増大し、ニーズの多様化(価格志向、サービス志向)も進んだ。また、諸外国の航空輸送業において規制緩和が進んだ。経営基盤を強化した各企業自体も他分野への参入を希望するようになった。航空産業は幼稚産業の域を脱したのである。運輸審議会は19866月の答申で、「4547体制」の廃止を決定し、航空政策は「事業分野調整」政策から規制緩和と競争促進へと方針転換されることになった。@国際線を日本航空の一元的体制から複数社制への変更、A日本航空の完全民営化、B国内線における競争促進と利用者利便の向上を図るため、路線の需要規模、空港整備の進行状況に応じたダブルトラッキング(2社の同一路線競合乗り入れ)、トリプルトラッキング(3社の同一路線競合乗り入れ)の推進の3点が確認された。ただし、この時点では参入・運賃・便数の規制は残存しており、「自由競争ではなく、あくまでも限られた3社間の競争であった」[8]。国内の同一路線複数社乗り入れには一定の基準が定められていたが、1992年、1996年と段階的に引き下げられ、1997年には基準自体が撤廃された。

さらに同年、運輸省は定期運送航空会社の国内幹線への新規参入を認めた[9]。これをうけて、989月に羽田−福岡線にスカイマークエアラインズ、9812月に北海道国際航空(エア・ドゥ)が羽田−新千歳線に新規参入した[10]。この9798年の参入規制の撤廃に続き、20002月には改正航空法が施行され、需給調整規制の撤廃、料金の認可制から事前届出制への移行が行われた。

 

国内線における新規参入と大手3社の対応

98年にスカイマークとエア・ドゥは格安運賃を売り物に新規参入した[11]。スカイマークは大手3社の半額の運賃を武器に搭乗率8割と当初は好調であった。しかし、大手がスカイマークと同時間帯に同水準の特定便割引運賃(特割)を導入[12]したことで、スカイマークの搭乗率は急降下した。エア・ドゥも、996月には搭乗率が5割を割り込んだ。

さらに、スカイマークはANAに、エア・ドゥはJALに航空機の整備を委託しているがその契約更新を渋る、あるいは値上げをしようとする動きもあった。このような、大手3社の価格攻勢や整備委託契約問題などの「新規たたき」[13]に加えて、新規参入企業には羽田空港の発着枠の割当てが少ない(両者とも3枠)といった空港のキャパシティの問題や自社内部の問題(予約システムの不備や定時出発率)もあった。

確かに「生まれたばかりの二社の低価格路線が、大手の価格政策を変えた」という自由競争の成果もみられたが、しかし結局「大手の攻勢に音を上げたスカイマークが(中略)値上げした途端、大手も(中略)値上げしてしまった」[14]のであった。

公正取引委員会は999月、不当廉売、カルテル行為(「特割」の同調的な導入)、優越的地位の乱用(整備委託の問題)空港施設等の利用状況の点で大手3社に対してヒアリングを行うとともに独占禁止法上及び競争政策上の問題点について検討を行った[15]。大手航空会社の行為については、@対抗的な割引運賃の設定は、競争の現れであり運賃の低廉化をもたらすものとして積極的な評価をできるとしたが、大手各社が新規参入企業を排除するために費用以下の運賃でサービスを提供するような場合には独占禁止法上問題になるし、発着枠等の制約を総合的に考慮すれば大手の行動は公正かつ自由な競争の観点から、今後問題になるおそれがあると評価した。A機体整備の受託については、新規2社の整備の自営化が進むまでは合理的な取引条件の下では委託を拒否しないことが望ましいとした。以上2点に加え、旅行代理店との取引や空港施設利用に関しても大手各社及び旅行代理店、空港ビル会社は不公正な取引を行わないように、競争の状況を注視していくと述べた。

 

20002月に改正航空法が施行され国内航空運賃の設定が原則自由になった[16]。大手3社は現行より割安になる多様な運賃設定(バーゲン型運賃、介護規制割引運賃、インターネット運賃など)を相次いで発表した。しかし、その一方で普通運賃の値上げや「特割」の一部値上げのため、これまでより割高になるケースも増えた。

20011112日にはJALJASの経営統合が発表された[17]。航空最大手のJALは国際線で圧倒的であるのに対し、国内線ではシェア25%しかなくANAの国内線シェア49%には及ばない。JASは国内線シェア23%で大手3社のなかでは最も経営基盤の弱い企業である。だが、両社が経営統合されれば48%のシェアでANAと拮抗することになる(ただし、国内幹線(羽田−札幌、羽田−福岡、羽田−沖縄など)に限るとJALJASのシェアは統合で60%台になり、ANA30%台とこれまでと逆の大差がついてしまう[18])。200210月にJALJASは共同持株会社を設立する予定であるが、公正取引委員会は「国内での競争を実質的に制限するおそれあり」と指摘した[19]2002315日)。

JALJAS両社は、公正取引委員会の統合承認をうけるため、新たに対応策を提出した[20]。両社は@新規参入促進のための競争措置として、発着枠の返上(9枠)、空港施設の利用に関する対応策、各種業務受託による新規航空会社への協力について提示した他、A競争促進と利便性向上のための路線網の拡充や、B運賃面での競争措置すなわち普通運賃の引き下げ、競争型割引運賃の設定拡充(特割と事前購入割引の設定拡大)の申し出を行った。

公正取引委員会は、両社の対応策と、国土工通省の競争促進策および新規航空会社の状況から、@新規航空会社の事業拡大等により有効な競争が生じる蓋然性が高まったとし、A運賃面での両社の措置や競争促進のための増便・参入の計画は、統合の合理化効果を一般消費者の利益に用いるものであると評価して、JALJAS統合は国内航空運送分野における競争を実質的に制限することとはならないと判断した[21]

しかし、返上枠を割当てられる方針の中小航空会社では大手との経営体力に大きな差があり有効な競争ができるとは考えられない。また、国際線における外国企業との激しい競争のため、JALJASおよびANAは国内線で競争を激化させたくない。収益確保が優先される国内線においては価格引下げの動機づけは薄れてしまうという点が指摘される。この経営統合による「国内2強時代」が、競争的な市場を創出するかは大いに疑問である[22]

 

(ティーチング・アシスタント 菊池慶彦作成)

 



[1] WG・シェパード著 金田重喜 訳「航空輸送業」(W・アダムス、JW・ブロック編       金田重喜 監訳『現代アメリカ産業論 第10版』創風社2002)より

[2] 宮田 淳「航空産業における規制緩和と競争政策」『明海大学経済学論集』1998

[3] 前掲「航空輸送業」『現代アメリカ産業論』219

[4] 同上、241

[5] 衣笠達夫「日本の航空事業の規制緩和」『流通科学大学論集』第9巻第21997

[6] 衣笠達夫(1997)及び宮田 (1998)を参照。

[7] 衣笠(1997)。経営基盤の弱い日本エアシステムの救済の意味合いが強かった。

[8] 前掲、衣笠(1997

[9] 北海道国際航空(AIR DO)ホームページ http://www.airdo21.com

[10] 朝日新聞社 編『朝日キーワード2000』朝日新聞社 1999218219頁。両者とも国内幹線への参入である。

[11] 同上。

[12] 『週刊ダイヤモンド』1999102日、1012

[13] 同上。

[14] 同上。

[15] 同上、及び公正取引委員会ホームページhttp://www.jftc.go.jp/報道発表資料(平成111214日)

[16]『週刊ダイヤモンド』2000219日、1416

[17]『日経ビジネス』20011119日、9頁及び『週刊ダイヤモンド』20011124日、1618頁。

[18] 前掲『日経ビジネス』

[19] 公正取引委員会報道発表資料(平成14426日)及び『週刊東洋経済』2002464445頁を参照。

[20] 前掲、公正取引委員会報道発表資料及び、JALホームページhttp://www.jal.co.jp/   報道発表資料(2002426日付け)を参照。

[21] 前掲、公正取引委員会報道発表資料。

[22] 『日経ビジネス』200256日、11頁。